旧工作本部のOB会に参加した。27.10・3・
2015年 11月 13日
40年前に、青春を過ごした八幡製鉄所の工作本部のOB会に参加することとした。
懐かしい方々と一緒に過ごしたときは、かけがえがないものであった。
センチメンタルジャーニイである。北九州空港に着いて、河内の貯水池、大谷球場、響灘、若戸大橋、門司港、レンタカーを借りて回った。
懐かしい。青春を仕事にかけていた。会は、200人ほどいたか?半分は、見たことある顔だ。
人生の収穫期という事を考えて、参加した。
会の最後に挨拶を依頼されて、大きな声を出した。
トンネル作ったこと、ボートブ艇庫を作ったこと、屋根の看板を載せたこと、3つ話したら、やんやの喝采で満足した。
人生はやり直しがきかない。しかし、また、どう生きるかと言われれば、同じ道を希望したい。
懐かしく、自分を褒めてやりたいような青春時代であった。
懐かしい方々と一緒に過ごしたときは、かけがえがないものであった。
センチメンタルジャーニイである。北九州空港に着いて、河内の貯水池、大谷球場、響灘、若戸大橋、門司港、レンタカーを借りて回った。
懐かしい。青春を仕事にかけていた。会は、200人ほどいたか?半分は、見たことある顔だ。
人生の収穫期という事を考えて、参加した。
会の最後に挨拶を依頼されて、大きな声を出した。
トンネル作ったこと、ボートブ艇庫を作ったこと、屋根の看板を載せたこと、3つ話したら、やんやの喝采で満足した。
人生はやり直しがきかない。しかし、また、どう生きるかと言われれば、同じ道を希望したい。
懐かしく、自分を褒めてやりたいような青春時代であった。
by kazunori_lifework
| 2015-11-13 12:16
| 人生観